卒業生の皆さん。皆さんは今日ここに中学校の課程を修了し、卒業式を迎えました。ご卒業おめでとう。しかし、この卒業はと同時にこの春の季節同様、新たな始まりを意味します。
例えば、私の15歳の春は次の言葉との出会いから始まりました。「今日という日は残りの人生の第一日目」。そして、その頃から人生や人間や生きることなどを考え始めたように思います。
今、その人生を15、30、40、50、60と振り返ってみて、いろんなことがあるたびに「今日という日は残りの人生の第一日目」と自分に言い聞かせてきたように思います。いまだにそうです。そしてこれからもそうなのでしょう。
本校で論語に学んだ皆さんには「吾十有五にして学に志す」があります。卒業式を終えると、皆さんはこれまでのような与えられた義務教育から、自ら進んで「学に志す」言わば自主教育に向かっていくことになります。このとき忘れてならないのは自分の意志で主体的に進学するということです。ほかの誰でもない自分の責任で選択したということです。そのことをもう一度自問自答し、心して残りの人生の第一歩を踏み出してください。
分かりやすい例なのでよく引き合いに出しますが、二松學舍の大先輩である夏目漱石に「落第」という文章があります。漱石は今の高校にあたる一年目を振り返って、「惰けて居るのは甚だ好きで少しも勉強なんかしなかった」と書いています。二年目には腹膜炎にかかり学年末試験を受けることができなかったが、その時、考えるところがあって追試験を受けず、自分から落第したというのです。
「考えるところがあって」というのは、「信用がなければ、世の中へ立った処で何事も出来ないから、先ず人の信用を得なければならない。信用を得るには何うしても勉強する必要がある。と、こう考えたので、いっそ初めからやり直したほうがいいと思って」自分から落第したというのです。そうして「人間と云うものは考え直すと妙なもので、真面目になって勉強すれば、今迄少しも分からなかったものも瞭然と分るようになる。前には出来なかった数学なども非常に出来る様になっ」たと書いています。
これが漱石の自主教育で自問自答による問題解決です。しかし、みなさんは落第しないでください。落第なんかしなくても、自問自答して考え直すべきは考え直し、漱石のように人の信用を得るためと志を高く持って、今から怠けず真面目に勉強すればいいのです。
志を高く持って一所懸命に、精一杯に取り組めば必ず成果は上がります。「精神一到何事不成」です。「吾十有五にして学に志す」。本校の先輩たち、昨年芥川賞を受賞した村田沙耶香さんも今年東京大学に合格した中学一期生の二名も、その他それぞれの志を果たした多くの卒業生がこの一五の春には志を高く持っていました。みんな皆さんの目標となるはずです。どうぞ先輩たちの後に続いてください。志高く「精神一到何事不成」です。
二松学舎の創立者・三島中洲先生八八歳の時の「精神一到何事不成」の書が掛け軸で、九段校舎の千鳥ヶ淵を見下ろす一三階にあります。卒業生の皆さん、そして保護者の皆さんも、ぜひ、この春休み、桜祭りにでも訪れて見てください。
繰り返して言います。志高く「精神一到何事不成」。卒業生に餞の言葉を贈り、皆さんの末永い健康を祈り、式辞とします。